Invicta, Overture for Band J. スウェアリンジェン James Swearingen (1947- )
-Introduction- ”スウェアリンジェン・スタイル” に貫かれた作品群…実は私自身もその音楽(吹奏楽)人生において、一番数多く演奏しているのはそのスウェアリンジェン作品かもしれないと思う。
スウェアリンジェンの作品は演奏難度を上げずに音楽的満足を与えようとするスタンスがまず第一にあるようで、それゆえに非常に取り組みやすく、従い演奏機会が増える。音楽の内容として難解なものは一切なく、楽曲中に矛盾点や疑問点も全くないというところにも納得感がある。
そうしたシンプルな楽曲の魅力を支えているのは、親しみやすく美しい旋律とキャッチーなフレーズの数々であろう。
■作曲者
ジェームズ・スウェアリンジェンは吹奏楽界に数多くの作品を提供している作曲家で、その楽曲はBarnhouse社の出版リストだけをみても、2022.11.3.現在で既に237を超えている。所謂「教育的」な=若い世代が実際に取組み楽しめる、技術的にも内容的にも無理のない作品で占められているが、メロディアスで構成は明快、モダンなリズムを利かせた作風であり、聴く者・演奏する者の心をごく自然に捉えてくる。 1981年から1983年にかけ、CBSソニーから発売された「吹奏楽コンクール自由曲集」が、”狂詩曲「ノヴェナ」” ”インヴィクタ序曲” ”チェストフォード・ポートレート” とヒット作を立続けに紹介したことで、日本でもスウェアリンジェンの人気がブレイクした。
以降、確実な書法による作品を次々と送り出し、その人気は不動のものとなった。
リズミックな急緩急の典型的な三部形式作品が多いが、“ロマネスク” や “ディープ・リヴァー” といった美しい旋律を持ったスローで穏やかな楽曲にも大きな魅力がある。
■楽曲概説
インヴィクタ序曲 (1981年) は、前述した “スウェアリンジェン・スタイル” の典型的な作品にして、彼の人気を決定付けた出世作。親しみやすい旋律と、エキサイティングでモダンなリズム、そしてダイナミックな序奏部と終結部が印象的なこの曲は、米国オハイオ州にあるボーリング・グリーン州立大学バンドの指揮者、マーク・S・ケリーへの献呈作品として作曲された。
プログラム・ノートの記載も
「18年に及ぶ私の公立学校生活において、ケリー教授は私に対し教師としてのキャリア形成に資する指導を幾度もしてくれた。云うまでもなく、私の成功はケリー教授の有益なアドバイスに負うところが大きいのである。」
というスウェアリンジェンの謝辞のみとなっている。
曲名 Invicta はラテン語で「無敵」「不敗のもの」を意味する言葉だが、ケリー教授への謝意を示す作品である以上、ケリー教授の人となりを象徴する賛辞としての題名であろうか?
或いはもしかすると “贈り物” の楽曲なので、ケリー教授のお気入りのブランド名(ダイバーウォッチ/男性用バッグ/スポーツカーに “INVICTA” の名を冠したブランドがそれぞれ存在する)に因んで名付けた、というあたりが実際のところなのかも知れない。
いずれにしても直接的な標題音楽としての意味はまず無いと思われる。
■楽曲解説
「インヴィクタ序曲」 は序奏とコーダを伴った急-緩-急の典型的な序曲形式の楽曲で、スケールの大きな序奏により開始される。ここでは中低音に現れるシンコペーションのカウンター(2/4拍子)が印象的なのだが、実は正確なリズムで且つ雄大さを示すように演奏するのは難しい部分である。
序奏はさらに幅広い音楽となって、あたかもせり上がってくる舞台のように視界を拡げながら高揚し、Allegro con moto の主部に突入していく。
快速な主部では、まず伴奏のシンコペーションの効いたモダンなリズムに心躍らされることだろう。
ここでは Snare Drum がテンポと抑揚、ダイナミクスの全てを確実にコントロールして音楽を牽引していかなくてはならない。
このリズミックな伴奏に載り、Clarinet の低音 ( + Baritone ) によってまろやかに奏される旋律が現れる。
これが木管楽器全体に広がった後、全合奏によるシンコペーションの楽句※ と打楽器ソリとが1小節ごとに応答して、エキサイティングなクライマックスとなる。
※この25・27小節のシンコペーションの楽句は曲中頻繁に出てくるが、実は難物である。
特に若いバンドの演奏ではリズムが正確な8分音符にハマらずリズミックさを失っているケースが頻繁に
見られる。タイの音符の形や長さも重要であり、どう揃えるとリズミックで音楽的か- 確信が必要である。
2種類のアクセントとそれ以外の音はどう表現するか…かつハモって聴こえなくてはならない。
プロに言わせれば「楽譜通りに」「普通に」演奏すれば良いということなのだろうが、こういうところをキチ
ンと詰めないと楽曲の魅力は発揮できない。そもそも第一主題を快速なテンポで正確にリズミックに吹く
ことからして実は難しいし…つくづく簡単な楽曲などないのである。
これが繰返されてブレイクし、テンポを緩めた Andante sotenuto のブリッジを経て2/4拍子Moderato espressivo の中間部に入る。
ここで Horn と Alto Sax. に現れる旋律は第一主題から派生したものだが、さらにずっと抒情的なものとなっている。
これが繰返されだんだんとダイナミクスを拡大して幅広い音楽となるのだが、徐々に伴奏にシンコペーションのリズムが忍び込んできて、これがのちに全開となり楽曲最大のクライマックスを演出していくのである。
また、旋律の変奏が複数絡み合っていくことで音楽を高揚させていくところも見逃せない。
78小節からはハーモナイズされた旋律に、更に2つの動きがカウンターとなっている。
更に転調した86小節からは Trombone (+Baritone ) の雄々しいオブリガートも加わる。
高揚をモチーフの応答で一旦鎮めると、ノスタルジックなムードを一瞬匂わせた後、molto allargando となって音楽の幅を一気に広げ、最大のクライマックスへと到達する。
悠々と奏でられたスケールの大きなこの中間部クライマックスがファンファーレ風の楽句で締めくくられるや、突然の場面転換を迎える。
Allegro con moto に転じた瞬間、fp から鮮やかにクレッシェンドしてくるのは打楽器ソリ!
一直線に駆けてきた音楽はモチーフの応答とそれに続くベル・トーンでブレイクして、快速な主部の再現に入る。
高音楽器群と中低音楽器群のファンファーレ楽句の応酬するコーダに入り、中間部旋律のモチーフを壮大に奏する Maestoso を挟んだ後、全合奏でスピード感を取戻し Allegro con brioのエンディングへ。
最後は鮮烈な sffp クレシェンドが吹き抜け全曲を終う。
「インヴィクタ序曲」の魅力を充分に発揮するには
①この曲の持つポピュラー音楽に通じる推進力の ”生きた” リズム
②中間部クライマックスへのアラルガンドやコーダに現れる Maestoso が決然と大きなスケールで奏されることで生まれる豊かなコントラスト
が求められると思う。
■推奨音源
汐澤 安彦cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
主部は快速で生き生きとしたリズムによって心躍らす一方、悠然たる中間部クライマックスやコーダの Maestoso でのスケールの大きさは充分で、場面転換も鮮やか。
非常にメリハリの効いた、コントラスト豊かな名演。
【その他の所有音源】
エドワード・ピーターセンcond. ワシントン・ウインズ
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
北原 幸男cond. 大阪市音楽団
松尾 共哲cond. フィルハーモニック・ウインズ大阪
-Epilogue-
さて「インヴィクタ序曲」をめぐっては定番の話題がある。
それは…嘗て東京12チャンネル(現・テレビ東京)系で放送された時代劇「大江戸捜査網」(1970~1984年放送)※ のテーマにそっくりという事実である!旋律線も、コード進行も、ビートも…。
同番組の放送終了から随分時間の経った現在では「大江戸捜査網」自体を知らない世代も多いから、必ずしもそうでもなくなっただろうが、私の世代以上なら直ぐに気付く。だから「インヴィクタ序曲」を初めて聴いたり、音出ししたりすると「これ、大江戸捜査網やん!」の声が飛び交うのだった。
※大江戸捜査網
松平定信の秘密組織である「隠密同心」の活躍を描くテレビシリーズ。1970年の放送開始から前半は杉良太郎が主演を務め、後に里見浩太朗→松方弘樹と主演を移しながら1984年まで続いた人気作であった。
時代劇らしく勧善懲悪の明快な結末に向かいつつも、正義の味方に“隠密”という影のある密やかさを演出したところが特色。
悪との対決シーンの直前に、「隠密同心心得の条」として滔々と三度朗じられる“死して屍拾う者なし”のフレーズはあまりにも有名。
「大江戸捜査網のテーマ」は、高らかに旋律を奏でるHornの音色が印象的なスピード感あふれる管弦楽編成の楽曲で、8/8拍子、4/8拍子、6/8拍子、7/8拍子が入り乱れる主部と、5/8拍子、3/8拍子が組合わさった中間部とに現れる変拍子、そして効果的な転調とが綾なす、まさに息もつかせぬエキサイティングさが興味深い。
規模も位置づけも違う楽曲だが、「インヴィクタ序曲」 より更に斬新なのはこちらとも云えるだろう。昔のテレビドラマの音楽か…などと軽視せず一聴する価値がある。
この「大江戸捜査網のテーマ」を作曲したのは玉木 宏樹(1943-2012 )。
ヴァイオリン奏者としての活躍を先行させた後、ヴァイオリン曲や映像分野の音楽で数々の作曲を遺した音楽家だ。
生前のコメント・文章を読むと、実に幅広い音楽に興味を持って楽曲を聴きまくり、また研究して深い造詣を持っていたことが窺える。
そんな玉木 宏樹は「大江戸捜査網」サントラCDに、以下のようなコメントを遺している。
…何と「大江戸捜査網のテーマ」は、「雨にぬれても」「サンホセへの道」「遥かなる影」などで高名なアメリカン・ポップスのヒットメーカー、バート・バカラック(Burt Bacharach 1928- )をイメージして作られた楽曲だったのだ!
確かにサントラCDには劇中BGMとして用いられたという「大江戸捜査網のテーマ」のスロー・ジャズワルツver.(3/4拍子)とラテンver.も(4/4拍子)収録されており、これを聴くとバカラックをイメージしたというのも納得できる。いずれもポップでイージーな、実に小洒落た音楽になっているのである。
スウェアリンジェンが極東のテレビドラマ音楽を耳にしたことがあったかどうかは判らないが、この事実を踏まえれば、スウェアリンジェンもまたバカラックあたりの影響を受けていたことにより、「インヴィクタ序曲」のメロディーが生まれたのかもしれない -とも考えられよう。
※尚、玉木 宏樹は「インヴィクタ序曲」の存在を認識しており、「大江戸捜査網のテーマ」作曲者本人と
して、生前自身のHPにて、「スウェアリンジェンは事前に ”大江戸捜査網のテーマ” を耳にしていたに違い
ない。(=剽窃である)」という見解に立ち、怒りの滲むコメントを行っていた。
♪♪♪
既述の通り、私自身スウェアリンジェンの作品を実際に相応演奏してきたが、その経験に照らしても彼が「ちゃんと判って曲を書いている」作曲家であり、手堅い手腕を持っていることは疑いない。易しい中にもモダンな感覚と音楽的“意味”を盛り込んだ作風はどれも愛すべきものばかりだ。
ポピュラー音楽に通じるノリがよくて推進力のあるリズム・パターンの使用や、効果的な打楽器ソリの挿入など、「インヴィクタ序曲」はそうした ”スウェアリンジェン・スタイル” を完全に確立した作品であり、愛すべき佳曲たることは間違いないと評価できると思っている。
<Originally Issued on 2012.7.12. / Overall Revised on 2022.11.4. / Further Revised on 2023.11.9.>
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