Masque W.F. マクベス William Francis McBeth (1933 - 2012)
-Introduction-
1970-1980年代におけるマクベス作品の人気は絶大だった。その中でも 「マスク」 (1967年)は「聖歌と祭り」と並んで最も演奏された楽曲であったし、現在でも演奏されている数少ないマクベス作品である。
「マスク」が日本で認知され、そして一大人気作となっていったのは何と言っても1972年度全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞した 竹森 正貢cond. 嘉穂高校 の歴史的名演がきっかけである。
作曲者マクベスに直接手紙を送り作曲意図を確認 (丁重な返事があったそうだ) したり、「マスク」が仮面劇を意味することから日本古来の仮面劇である「能」を全員で観賞したりといった意欲的かつ執念の取組みで楽曲に対峙したその演奏は、何よりもまずバンド全体が一つの火の玉になったかのような ”集約感” に圧倒される。リズムもダイナミクスもコントラストも、その移り変わるさまが大編成のアンサンブルとしては限界とも思われる一体感で表現され、聴くものの心を揺さぶるのだ。
そして終始大きなフレーズで演奏されているのに加え、終盤では豪快な Horn +Euphonium による咆哮とこれに続く中低音の充実したサウンドの骨太さに象徴されるように、提示されている音楽のスケールも実に大きい。
こんな演奏を聴いちゃったら、「うわーッ、カッコ良いー!俺も演りたい!!」 となるのも必然なのである。
※バンドジャーナル1973年1月号記事「出演者からの発言(嘉穂高校)」
■楽曲概説
✔作曲者と作曲の背景
作曲者 ウイリアム・フランシス・マクベス の作風は 「ドラマティック」 と総括できるだろう。低音に重きをおいたバランスから生み出される重厚濃密なサウンドと、楽曲のクライマックスにたびたび現れる高音群と低音群の激烈な応答は、個性的なマクベス・ワールドを象徴する。
「聖歌と祭り」「第七の封印」「神の恵みを受けて」「カディッシュ」など宗教的な題材や背景を持つ作品も多いが、「マスク」にはそのような要素はないようである。
マクベスは自作楽曲の標題について 「私は、タイトルを考えるのに曲を書くよりも時間を費やします。ただ私の場合いえることは、programmatic (標題音楽的な) ではないということです。(中略) つまり、タイトルは曲を ”暗示” していると考えてほしいと思います。」 と述べている。
「マスク」に関しても、
「マスクとは古いイギリスの仮面劇のことです。このタイトルは、この音楽が捧げられたのが新しい劇場の落成式のためだったので、その劇場で上演されるという意味で『マスク』とつけたので、曲の内容が『マスク(仮面劇)』を表現したり、意味したりしているのではありません。私は曲によく合ったタイトルを選んでつけますが、それは決して標題的なものではありません。」
と標題性のないことを強調している。
【出典】バンドジャーナル1974年8月号 秋山紀夫氏によるマクベスへのインタビュー記事
✔マクベスの交響曲第3番の第3(最終) 楽章は 「マスク」!
また、マクベスに師事した作曲家 スティーブン・ヒル (Stephen Hill) が2023年12月にYouTube へアップしたマクベスの「交響曲第3番」の録音により、驚愕の事実が確認された。
管弦楽のために書かれたこの「交響曲第3番」は1963年にハワード・ハンソン作曲賞を受賞したマクベスの管弦楽作品における代表作なのだが、何とその第3(最終) 楽章 Allegro Agitato は 「マスク」 そのものなのである!
交響曲第3番が1963年、マスクが1967年の作曲とされているので、ごく一部を除き完全に同じ曲 (エンディングは姉妹曲?の「ドラマティコ」と同じ)であることから、普通に考えれば 「マスク」 は管弦楽作品である交響曲第3番第3楽章を吹奏楽に転用したものと推定されるだろう。
ただ、この交響曲第3番第3楽章を実際に聴いてみると、元々吹奏楽曲だったものを管弦楽にアダプトしたような作品のようにも感じられる。
1963年当時既にマクベスは吹奏楽曲を書いていたので、もしかすると 「吹奏楽用に書いた (書き進めていた) 曲を交響曲第3番に転用した」 が逆に真実だったりするかも知れない。
この辺りに触れられた文献や情報を未だ見つけられておらず事実は不明だが、いずれにしてもこのことからも 「マスク」 という曲名がこの楽曲の内容とほぼ無関係なことは、想像に難くない。
■献呈された新劇場で上演された 「古いイギリスの仮面劇」 とは
「マスク」 が新しい劇場 (アーカンソー州立大学ファイン・アーツ・センター) の落成を記念して書かれた作品であることは、既に述べた。
叙上のように標題と楽曲の内容は無関係とはいえ、少なくともマクベスが想起し ”この曲に合っている” と感じた「マスク」という言葉が指し示すもの- 「イギリスの古い仮面劇」とはいったいどのようなものかについても、述べておきたい。
【出典・参考】 「イギリスの宮廷仮面劇 バロックの黎明」 山田 昭廣 著 (英宝社) 1613年2月15日のポールズグレイヴ選帝侯成婚に際し奉祝上演された、ジョージ・チャップマン 作の仮面劇の邦訳も所載
✔17世紀イギリスの宮廷仮面劇
イギリスの宮廷仮面劇の源流はイタリアにあると推定されるが、その歴史は記録上1373年に遡る。そしてかのシェイクスピア (William Shakespeare 1564-1616) が活躍したのとほぼ同時期、ジェームスⅠ世の治世 (1603-1625年) から豪華さを競い合う宮廷の祝祭行事として急速に成長し、「スチュアート朝の宮廷仮面劇」として確立していったもので、通常の「演劇」とは一線を画している。
すなわちこの17世紀イギリスの宮廷仮面劇は、シェイクスピア時代の空前絶後の演劇的エネルギーが王権を誇示する宮廷と結びついた政治的副産物であり、それは演劇活動というよりは寧ろ外交をも含む政治的意味合いの強い、封建王侯貴族を巻き込んだ慶事的・祝祭的な行事と総括できる。具体的には王侯貴族の慶事を祝う宴の出し物として、あるいは年中行事である公現節の祝日の夕べや十二夜の出し物として、宮廷内にて原則一回限り上演される前提で企画された公的行事なのであった。そのため台詞が極端に少なく、スペクタル的な舞台の変化や歌と踊りが多いなど、一般的な演劇と形式的にも大きく異なっていた。
1610年にヘンリー王子のプリンス・オブ・ウェールズ叙任を祝して上演・出版された「テティスの祭り (Tethys Festival)」 はこの宮廷祝祭行事としての仮面劇を代表するものである。
※この伝統を踏まえ、アーカンソー州立大学はファイン・アーツ・センター落成を 「仮面劇」上演によって祝おうとした
ものと考えられる。
✔スチュアート朝における宮廷仮面劇の発展とその立役者
この宮廷仮面劇の発展に貢献したのが、イギリスにおけるバロック様式の建築家 イニゴー・ジョーンズ (Inigo Jones 1573-1652) で、彼は1615年からスチュアート朝の宮廷技官として劇場設計や舞台装置をはじめ、登場人物の衣装デザインに至るまで事細かく「仮面劇」の陣頭指揮をとった。「仮面劇」 においては脚本と同等以上に ”舞台作り” が重視されていたのである。
マニエリスム (16世紀中頃から末にかけて見られる後期イタリア・ルネサンスの美術様式) 全盛のイタリアで修行し、これを習得したイニゴー・ジョーンズの芸術的センスによってプロデユースされたこの 「仮面劇」 はイギリス宮廷人を魅了し続けることとなる。
尚、当時の仮面劇作家としては ベン・ジョンソン (Ben Johnson 1572-1637) やジョージ・チャップマン(George Chapman 1559-1634)などを挙げることができる。
✔宮廷仮面劇の踊りと音楽
宮廷仮面劇には 「アンティマスク」 と呼ばれる、お祭り騒ぎに相応しい奇妙な踊りも盛り込まれたが、従来の伝統的な均整のとれた舞踊の優雅さとは対照的なものである。この 「アンティマスク」 はやがて宮廷仮面劇に不可欠なものとなり、遂にはそれ自体が見世物としてのスペクタクルとして独立な機能を持つに至った
踊りには音楽がつきものであり、この「アンティマスク」 も奇抜な音楽や滑稽な旋律に合わせて踊られたとのことだが 「仮面劇」 自体、そもそも台詞が叙唱調でありほとんど現代のミュージカルのような形をとって上演されるものが多かったという。
1618年1月上演の仮面劇の奏楽を担当したイギリス宮廷音楽隊 (オーボエとトランペットで編成された15~20名ほどの吹奏楽団) の技量は、開幕に先立つ国王一行入場時に奏されたリチュルカーレからして、当時の音楽の本場イタリアの外交官にも強い印象を与えるレベルにあったという記録が遺されている。
※仮面劇 「世界の不思議」 CD (演奏:エコー・デュ・ドナウ) およびリーフレット所載の当時の上演シーン
■楽曲解説
Allegro Agitato の全合奏ユニゾン ff の激烈な DーE♭ーC の音型に始まる。
これに続いて打楽器の特徴的なリズムが奏されるが、このモチーフ/リズムが執拗に繰返され、全曲を支配しているのである。
このリズムは小節の3拍目に抑揚を内包するもので、これが快速なテンポにおいて一層生命感のある推進力を発している。
そこへ第1主題が切り込んでくるのだが、これがまた骨太で実に逞しい。
これが中低音に受け継がれ段落したのち、ダイナミクスを落として打楽器群の細やかな装飾とともに木管群でしめやかに奏されコントラストを描く。
その密やかさは呪文の如き第2主題に引き継がれる。
ハーモニアスな音楽へ転じたこの第2主題が、非常に大きなフレーズで奏され繰返され、徐々にダイナミックな音楽になっていくさまは、まるで巨大な竜が舞うが如きぬめぬめとした神秘的な生命感にあふれている。ここでは Snares off の Snare Drum の音色を使うといった細やかな演出も光る。
この第2主題が発展し、例の特徴的なリズムが高音と低音で交互に ff で烈しく応酬し、それが最後は一つになって前半のクライマックスを形成していく。
ここでの一瞬の間=静寂をも活かした打楽器群の鮮やかな Soli は、聴くものに強烈な印象を与えるだろう。
スピード感を失うことなく徐々にダイナミクスと興奮を鎮め、ついにはテンポも緩めてのブリッジとなるが、ここでは装飾音符を伴いつつリタルダンドしディミヌエンドしていく Snare Drum が大変特徴的であり、これに Chime の Solo が続いて ♩=72の中間部へと入る。
中間部は木管群の静かな旋律に始まり、これが Horn に受け継がれる。
抒情的であり幻想的でもあるこの中間部だが、息の長いフレーズがハーモニアスで豊かなサウンドで奏され、高音・低音の応答が徐々に力を帯びて来て、中間部全体を通して放射状に高揚してくるさまが聴きものである。やがて ”予感” を発する Chime と Timpani による大変劇的なカウンターが現れ、緊張感に満ちたアッチェルランドを経て重厚なサウンドがダイナミクスを拡大したその頂点で、堰を切ったように Tempo Ⅰに転換する。息詰まる抑圧から解放されたその瞬間こそはまさにカタルシス!
再現部はコンパクトに集約され、より激しいダイナミクスの変化によりコントラストを鮮明にしていくが、前半部よりも足早に到達したクライマックスでは Horn + Euphonium の咆哮が豪快に響きわたる。
これに低音群ユニゾンのフレーズが続くが、その重厚さがもたらす音楽的としての説得力はまさにマクベスの真骨頂と言えるだろう。
低音の旋律がハーモナイズされて奏されるそこに Trumpet のリズムフレーズが加わって音楽は一層劇的なものとなって終幕へ向かう。(この Trumpet のフレーズはその前に練習番号Ⓚ13小節目で Flute に現れ、予め ”匂わせ” てあるという周到さなのである。)
今一度リズムパターンを Xylophone が一層印象付けるところから高揚して、再び高音楽器群と低音楽器群との応酬によって最後のクライマックスを形成し全合奏の眩しい光を放つや、sub. p から ff まで急激にクレシェンドする Snare Drum からスピードを落とさず、文字通り一気に駆け抜けて全曲を終う。
ドラマティックでエキサイティングな要素をふんだんに盛り込みつつ、全曲を貫く統一感があって 7'30" ほどの楽曲の中に無駄なくコンパクトにまとまっている。単純なようで胸のすくような音楽の運びは間違いなく ”名曲” であり、マクベス作品の中でも今なお絶えることなく演奏されているのも頷けるのである。
■推奨音源
前述した 竹森 正貢cond. 嘉穂高校 の演奏はアマチュアのコンクール実況録音でありながら奇跡的な名演である。したがってこれは当然推すとして、そのほかに聴いておくべきものとして以下を挙げておきたい。
朝比奈 隆 cond. 大阪市音楽団
マエストロ朝比奈 隆の遺した好演、大変メリハリの効いた、骨太で実直な演奏である。
(尚、練習番号Ⓔ7小節目の Chime は譜面上は2拍目なのだが、この演奏では3拍目に奏されSoloになっている。これが単なる奏者のミスなのか指揮者による演出なのかは不明。)
フランシス・マクベス cond.
テキサス工科大学吹奏楽団
マクベス自作自演による録音で、演奏及び録音のレベルが前時代的なことは否めないが、作曲者のイメージが端的に伝わるものであることも間違いない。演奏に際しては一聴しておくべきものである。
【その他の所有音源】
ユージン・コーポロン cond. ノース・テキサス大学ウインドシンフォニー
木村 吉宏 cond. 広島ウインドオーケストラ
北原 幸男 cond. 大阪市音楽団
石津谷 治法 cond. なにわオーケストラル・ウインズ [Live]
現田 茂夫 cond. 大阪市音楽団 [Live]
川瀬 賢太郎 cond. 東京佼成ウインドオーケストラ [Live]
-Epilogue-
私にとって中学生の頃からさんざん聴いて最初から最後まで全曲を空で歌えるほどになり、実演の機会にも恵まれたこの 「マスク」 だが、この全面改訂稿執筆にあたり再び聴き込んでその魅力に改めて心躍らされた。間違いなく名曲なのである。
そしてごく最近(2024年の年末)、本稿旧ココログ版のコメントにて Shigenori さんから教えていただいたマクベスの「交響曲第3番」 の音源には本当に驚かされた。第3楽章は「マスク」そのものだし、第1楽章冒頭は「モザイク」と同じだし…。
この交響曲第3番との関係はこれまで 「マスク」 のどの解説を見ても触れられたものがなかったので、少なくとも日本では誰にも知られていないであろう。こうなると、他にも管弦楽作品から吹奏楽への改作があるんじゃないか?と一通りサーチしてみたのだが、交響曲第1・2・4番などマクベスの他管弦楽作品の音源は見当たらず。したがって確認はできないのだが、他にもきっとあるのではと思う。
-こんな話を Shigenori さんと交わしたのだが 「令和の時代にマクベスを語るなんて我々ぐらい…」 と苦笑するばかりなのであった。
マクベス作品はその作風が個性的でかつ世界観が同一なため、 ”特異” と受け止められている向きもあるが、吹奏楽のサウンドや機能を駆使して生み出されたその劇的性には、時代を超えて普遍的な音楽の感動がある。若い世代の方々にも、食わず嫌いは止めてぜひ接してみてほしいと願うばかりだ。
<Originally Issued on 2006.6.13. / Completely Revised on 2025.1.4.>
とても興味深く読ませて貰いました。僕は60代なのですが、中学の頃(70年後半)コンクールの自由曲だったので、イヤになる程(笑)聴きました。そして現代になって、ずっと大好きな曲に実は原点曲があったとは・・・もうビックリしました!!最後の終わり方、吹奏楽版とちょっと違う終わり方ですが、これはこれでアリかなと(笑)久し振りにワクワクしました。