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ウェールズの歌

  • hassey-ikka8
  • 2023年11月12日
  • 読了時間: 12分

更新日:2024年5月17日

Songs of Wales - Suite in Three Movement

  Ⅰ. Hen Wlad fy Nhadau - Morfa Rhuddlan  Ⅱ. Mentra Gwen

  Ⅲ.Hob y Derry Dando - Codiad yr Hedydd - Cwm Rhondda

             A. O. デイヴィス Albert Oliver Davis  (1920-2005)


-Introduction-

他ジャンルと比較しても、吹奏楽曲に於いて世界各地、或いは自国に伝承された民謡・民族音楽を題材とした作品は非常に多い。しかも楽曲の一部に民謡を取り入れるにとどまらず、全面的にフィーチャーされているものが多いのもその特徴である。

これは、作曲にあたり音楽上の ”新鮮な” 興味を (古の自国文化も含めた) 異文化たる民謡・民族音楽に求めていった結果だろう。歴史が浅く「現代音楽」の一形態でもある吹奏楽に於いて、これまでに存在する楽曲に対峙し得るそうした”新鮮な”興味 (=オリジナリティ) を一から創作することはなかなかに難しいという現実があるからと推定されるのだ。また

 ◇グローバリゼーションと情報化の進展が”異文化”との接触やそれに対する興味の

  深化、そして”異文化”に関する資料の入手を容易にしていったこと

 ◇吹奏楽には教育的見地に立った作品が求められる側面があり、その題材として世

  界各地の民謡・民族音楽、伝承された自国独自の音楽は格好のものであったこと

 ◇委嘱された際に作曲者が委嘱者の”ご当地”音楽を取り入れる傾向があること

などが、更に後押ししたとも云えよう。

「ウェールズの歌」はこうした数多い民謡・民族音楽を全面的にフィーチャーした吹奏楽作品の中でも、屈指の傑作に挙げられる。 ■作曲者

作曲者アルバート・オリヴァー・デイヴィスは米国オハイオ州クリーヴランドを拠点に活躍した作編曲家で、吹奏楽バンド教本の名作 ”First Division Band Method” 編者の一人として知られる。「万霊節」(R.シュトラウス) をはじめとしたクラシックアレンジ、「ファンファーレとジュビリー」「パームハーバー・マーチ」などのオリジナル曲のほか、「エリザベス女王時代のキャロル」「スコットランド民謡組曲」「フランス民謡組曲」「ライン地方民謡の祭典」といった民族音楽を題材にした楽曲など、Eric Hanson(ペンネーム)名義で書かれたものも含め、400曲を超える作品を遺した。

安定した手腕で定評のあるデイヴィスだが、「ウェールズの歌」 はその代表作として愛されてきた作品であり、標題通り英国ウェールズの民謡・古謡を吹奏楽にアダプトしたものである。


■ウェールズについて

✔概 説

ウェールズはイギリスすなわちグレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland:略称 U.K.) の構成国※ の一つであり、グレートブリテン島の南西部を占める。

本邦の四国より一回り大きなその面積(20,761㎢) はイギリス全土の8.5%にあたり、また人口 (3,230千人) はイギリス総人口の4.8%である。

[2020年時点]

  ※イングランド、スコットランド、北アイルランド、そして

   ウェールズの4ケ国。海外領土や、英国王室属領であるマ

   ン島・チャネル諸島は、連合王国自体には含まない。


南をブリストル海峡、西・北部をアイリッシュ海に接し、温暖多湿な気候のウェールズは、カンブリア山脈を中心とした高地とムーア (背の低い草木の茂った水捌けの悪い荒地・沼沢地) とで国土の2/3を占めるが、南部の低地や主要河川沿いは肥沃な土地で、農耕が盛んである。

山地や渓谷、或いは海岸が織り成す自然、郷愁に満ちた農村風景、また13世紀を中心に多く建造された古城の佇まいなど、いずれも絵画のように美しいさまざ

まな景観に恵まれている。


✔ウェールズの歴史

20万年以上前に原始人が生活していたことが判明しており、紀元前2000年までには現在のドイツから渡って来た青銅器文明を有する民族が定住するようになった。ビーカー族 (小型の器=ビーカーを死者とともに埋葬した部族) や巨石文化を有した部族がその代表であり、ウェールズには多くその遺跡が見られる。

 

現在のウェールズへと繋がる著変は、紀元前300年頃に鉄器文明を擁してこの地を征したケルト人の登場である。1世紀から5世紀初までローマ人の侵略・属州支配を受けこそしたが、ローマ支配の崩壊後は他民族からの相次ぐ侵略から防衛するためにケルト人は団結し、幾つかの強い王国を分立させて外部勢力に対抗していた。

特にケルト王国とアングロ・サクソン領土 (イングランド) 側との対抗関係は続き、この状況を反映して8世紀にはアングロ・サクソン側のマーシャ王国が「オッファの防壁」を作り、ケルト王国との境界を定めている。


この頃、英語の母体となったアングロ・サクソン側の言葉で同防壁の西側 (ウェールズ側) の人々を指すようになった「外国人」という意の言葉-それこそが ”Wales” なのである。

その後もイングランドやヴァイキングからの侵略を受けたウェールズだが、懸命の抵抗と外交努力によってギリギリの自治を守り、独自の法律・言語・芸術を維持し続け、民族の個性を保っていったのだった。

 

しかしそのウェールズも遂に1280年代、イングランドを収めたノルマン人の王・エドワードⅠ世※ の手中に落ちることとなる。

 

 ※エドワードⅠ世がウェールズ併合後、世継を身籠った王妃をウェールズ領内のカーナヴォン城に連れて行き、

  そこでエドワードⅡ世を出産させてこの王子に ”プリンス・オブ・ウェールズ (Prince of Wales) ” の称号を与

  えた(1301年)エピソードも有名。これはウェールズ人にエドワードⅡ世を”ウェールズ生まれの ”支配者” と

  して受け入れさせ、反抗を抑えようと腐心したものである。

  以来、イングランド次期国王(=イギリス次期国王)がプリンス・オブ・ウェールズとなる慣例は現在も続い

  ている。

  

イングランドに併合された後のウェールズにとっては、ヘンリー・テューダーがイングランドの内戦たる薔薇戦争(1455年-1485年)で最終的に勝利し、テューダー朝の始祖=イングランド国王ヘンリーⅦ世として即位したのが大きな出来事だった。

ウェールズ王家を父方の祖先に持つヘンリーⅦ世は、ウェールズ人の軍隊を自軍に合流させることで相手側を打ち破り、薔薇戦争に勝利することができたわけで、王となってからもウェールズのことは忘れず、ウェールズの復権に意を尽くしていった※ のである。

 

 ※ウェールズはそれまでイングランドから圧迫され続け、特にこれに反発した「グリンドゥアー (Owain Glyndwr)

   の反逆」が鎮圧されて以降は、さまざまな厳しいウェールズ人の権利制限が行われていたのだが、ヘンリーVII

   世によって政府内の要職にウェールズ人が就くようになり、更に次王ヘンリーⅧ世の時代には、権利制限の緩

   和が実施されるとともに、ウェールズは13州に再編され、イングランド議会へその各州から代表を送ることも

   認められたのであった。

 

以上のような歴史的経緯の中、イングランド-ひいては連合王国 (U.K.) への併合がスコットランド・北アイルランドと比較して早かったにもかかわらず、ウェールズは ”不屈の精神” によって独自の文化を守ってきたと評されている。

現在でもウェールズ人はケルトの祖先に誇りを持っており、ケルトの祝祭は大勢の人手で

賑わい、子供にはケルトの英雄に因んだ名がつけられることも多い。

 

ケルト語から派生したウェールズ語※ を守り、前述のようにアングロ・サクソン側が「外国人=Wales」と呼んだのに対し、自国のことは Cymru (カムリ) と称する。


領内では道路標識もウェールズ語が併記されているのである。




 ※1967年からはウェールズ語の教育も再開され、公用語にも制定されて現在に至っており現在も約20%の国民

  がウェールズ語も使うという。

  尚、連合王国旗 (Union Flag) とは別にイギリス国王から認められたウェールズ国旗(上掲)には赤い龍が描かれ

  ている。ブラスバンドそして吹奏楽曲の傑作として名高いフィリップ・スパークの ”The Year of the Dragon”

  の Dragon とは、この赤い龍を指している。

 

✔音楽にも恵まれたウェールズと、そこから生まれた「ウェールズの歌」

そして、ウェールズが守り続けてきたケルトの流れをくむ文化の中でも特筆されるのが、まさに 「音楽」 である。

ウェールズではその年最高の吟唱詩人・音楽家・歌手を選ぶナショナル・アイステズボッド (National Eisteddfod) という音楽・詩・舞踊の祭典(左画像)が毎年行われているが、そのパフォーマンスも全てウェールズ語で行われるという。

この祭典は少なくとも12世紀以前に発祥した吟唱詩人コンテストを起源としている。その当時からウェールズで愛されてきた歴史的な楽器はハープであり、常に吟唱詩人とともにあったとのことである。


このように伝統ある豊かなウェールズの音楽を題材にして、楽曲にその美しく魅力あふれた旋律をいっぱいに詰め込んだ「ウェールズの歌」の作曲者デイヴィスは

「ウェールズの丘、そして谷- 世界で最もメロディアスな民謡の多くが、そこから生まれた。豊かな歌唱の伝統に恵まれて、ウェールズの人々は卓越した歌唱法を身につけている。

”ウェールズの歌” に登場する正格旋法※ による旋律は、最上の民謡から選りすぐったものである。」

とのコメントをスコアに寄せている。


 ※正格旋法

  初期の教会旋法による旋律は1オクターブ以内に収まるよう作られているが、その中で終止音から1オクタ

  ーブ上の終止音までの音域を用いる旋法をいう。終止音の5度上を属音(ドミナント)としており、「変格旋法」

  と比較し高い音域で歌われるものである。


【出典・参考】

「目で見る世界の国々47 ウェールズ」

 メアリー・M・ロジャース 著 桂 文子 訳 (国土社 1997)

「ウェールズ イギリスの中の”異国”を歩く」

 田辺 雅文 著 旅名人編集室 編(日経BP社 2005)

「図説 イギリスの歴史」 指 昭博 著 (河出書房新社 2002)

「図説 イギリスの王室」 石井 美樹子 著 (河出書房新社 2007)

「イギリスを知るための65章」

 近藤 久雄・細川 祐子 著 (明石書店 2003)



■楽曲解説

「ウェールズの歌」はデイヴィスが計6曲のウェールズ民謡を選びこれを3つの楽章にまとめたものであるが、まずもって選曲からして大成功している。

デイヴィスのウェールズ音楽への愛着はとても強かったようで、この曲とは別に「ウェールズ民謡組曲」(Welsh Folk Suite) を編んでいるのだが、これと比較しても 「ウェールズの歌」に収められた曲がまた一段上の魅力ある旋律を持つ、まさに選りすぐりのものであることがお判りいただけることだろう。

 

各ウェールズ民謡については、内容や背景・原曲の姿に迫るべく詳述した資料を作成したのでそちらをぜひご覧いただきたいが、度重なる侵略からの防衛の歴史に曝されてきたことを反映してか、愛国の想いや郷土への愛着を歌うものが多い。神や王家への讃美も見られるが、これらも民族性を強く反映したものであるから、全編に亘りウェールズ人としてのアイデンティティを色濃く示すものばかりと云える。


【資料】「ウエールズの歌」の原曲たち



Ⅰ. ウェールズ国歌 ”我が父祖の地”-リズランの湿原

Clarinet 群のふくよかな音色で歌い出すウェールズ国歌(Moderato ♩=96)はこの楽曲のオープニングとして洵に相応しい。

(「ウェールズの歌」全体を通じて云えることだが) デイヴィスが素朴な原曲をより音楽的に純化し、魅力を高めているのは見逃せないところである。

 木管から金管への遷移、チャイムを初めとした打楽器の効果的な使用により色彩を巧みに変化させ、またカノン風のモチーフの積上げなどを用い、穏やかにしかし確実に音楽を高揚させているのが見事。楽器用法としてはソロによるカウンターなどに見られる Euphonium の活躍が印象に残る。


47小節からテンポを速め(Andante ♩=136)一層感傷的な「リズランの湿原」に入る。この歌い出しでも Clarinet の美しい音色が生かされ、統一感も醸成されている。

第1楽章に現れる両曲ともが命を賭してウェールズを守らんとする愛国の決意を歌った曲であり、クライマックス(77-78小節)では決然としてやや強ばった表情が求められて然るべきであろう。


曲は再び穏やかなウェールズ国歌が戻ってきて、鐘の響きとともに安寧を湛えつつ締めくくられる。


Ⅱ. 挑まれよ、グウェン

原曲には2種類の内容の異なる歌詞があり、軽妙なテンポで演奏されるヴァージョンもあるが、ここでは悠然として優しい音楽 (Andantino ♩=92)となっている。


何といっても、6小節の前奏が素晴らしい!


小節内のcresc. / decresc.で印象的に歌う Flute + Oboe の清らかな音色に始まり、

楽器が加わって表情を緩めながらスケールを大きくしていくさまは、デイヴィス渾身の出来映えと思う。





すっかりその世界に惹きこまれてしまうのだ。美しくどこか懐かしい旋律を、寄せては返す波のように抑揚と対比を見せながら、編み上げてゆく。

デイヴィスからは

「注意深く、オルガンの如きサウンドのクオリティを持って演奏してほしい。」

との要求もあり、この楽章は敬虔なイメージのある音楽に成す必要があるだろう。


終盤のクライマックスで高らかに歌い上げフェルマータとなった後、遠く聴こえてくるClarinet の低音(52-53小節)がまた…何とノスタルジックな音風景であろうか!

これに Horn、Flute と応答し懐かしさがこだまして、最後は Oboe ソロが終う。


Ⅲ. ホビ・デリ・ダンド (ひねもす一日)-あげひばり-ロンザの谷

組曲の掉尾を飾るのは吹奏楽曲らしく ”マーチ”。2/2拍子 Allegro Marcia、テンポ108の快活な終楽章だ。デイヴィスからは

「一定のテンポで演奏してほしい。最後はラレンタンドしてもOKだけど、少しだけね。」

との指示である。


序奏に「 ホビ・デリ・ダンド(Hob y Derry Dando) 」、21小節目からの第1マーチに「あげひばり(Codiad yr Hedydd)」、39小節目からのTrioに「ロンザの谷(Cwm Rhondda)」を使用してマーチに仕上げるというアイディアと巧みさが凄い!まさにデイヴィスの優れた構成力・編曲手腕が発揮されている。

打楽器ソリに導かれて始まる序奏部の陽気さには、誰もが気分をぱあっと明るくするだろう。輪をかけて快活さを増した第1マーチでは木管楽器のオブリガートが印象に残る。続くTrio は素朴な旋律が Trombone(+ Baritone)によって朗々と奏でられる。

Trumpet のファンファーレ風のカウンターも加わり厚みの増したサウンドとなって終幕へ向かって行き、最後は大げさにクレシェンドする打楽器ソリで4/4拍子のコーダ (77小節) に突入、木管楽器の奏でる16ビートに乗り、エネルギッシュにして堂々たるエンディングを迎える。


■推奨音源

汐澤 安彦cond.

フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル

この曲の持つ奥行を的確に把握しており、現れる多彩な表情をそれぞれに相応しく表現している。

テンポ設定も非常に適切で、この曲の演奏に期待される音楽的興味を満たしてくれる好演である。







【その他の所有音源】

 小澤 俊朗cond. 東京シンフォニック・ウインドオーケストラ

 木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ

 汐澤 安彦cond. 東京吹奏楽団


-Epilogue-

素材であるウェールズ民謡の原曲自体がもちろん素晴らしい。

しかし重ねて申上げるが、その素材を料理してより音楽的に次元の高いものへと成しているデイヴィスの創意工夫と手腕には感心するほかない。センスの良さはもちろん、並々ならぬ熱意も感じられて已まないのだ。

 

結果として「ウェールズの歌」はとても音楽的で、多彩な表情を持つ名作となった。難易度は決して高くはないだろう。しかし、この曲を安易な演奏で片付けてほしくはない。コンクールで演奏される機会は少ないと思われるので、そこから離れて広く末永く、愛奏されてほしい作品である。

 

 

<Originally Issued on 2011.10.10. / Revised on 2018.1.13. / Further Revised on 2023.11.12.>






 
 
 

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