ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ / 台所用品による変奏曲
- hassey-ikka8
- 2023年12月11日
- 読了時間: 10分
更新日:2024年5月16日
The January February March
Variations on a Kitchen Sink - A 'Fun' Piece
D.ギリス Don Gillis (1912-1978)
-Introduction-
「音楽でユーモアを示す」って難しい!
そもそも ”笑い”って難度が高い。「ウケる」ことの難しさはお笑い全盛の現代において一層クローズアップされている。
それは「スベる」ことの怖ろしさゆえである。「どう?面白いでしょ?」というドヤ顔でスベることほど惨めで恥ずかしいことはないではないか。
”笑い”には明らかに流行もあるし…言葉のない音楽で笑いを呼び込むとなると、更に難度は上がるのだ。
■作曲者ドン・ギリス –そのユニークな作風

ドン・ギリス(本名:Donald Eugene Gillis)はその作品の際立ったユニークさで知られるアメリカの作曲家である。
アメリカ3大ネットワークの一つNBCにおいて巨匠トスカニーニの指揮するNBC交響楽団の番組を担当、プロデューサー兼台本作者として活躍した経歴を持つ。
代表作からして「交響曲第5 1/2番(ごかにぶんのいちばん)」というネーミング! ”楽しみのための交響曲” という副題のこの作品も、アメリカ的な陽気さに満ちた ”底抜け” のユニークさで、まさに放送業界人らしくエンタテインメント性を充満させているのだ。
そんなギリスが吹奏楽のために書いた※ ”極めつけ” の小品が「ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ」(1950年) と「台所用品による変奏曲」(1959年) である。これらはともに当時流行していた「冗談音楽」のフレーバーを漂わせる。
標題からして察せられるようにユーモアを音楽に盛り込んだ特徴的な作品なのである。
※ギリスの作品は交響曲第5 1/2番をはじめ、管弦楽・吹奏楽の両方で演奏可能、即ち譜面が用意されている
ものが多い。「ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ」 も管弦楽版が出版されている
■冗談音楽
✔冗談音楽とは
「冗談音楽」(但し ”替え歌” でない器楽作品) というと下記の要素を多く含み、それによって聴く者に ”笑い” を喚起する楽曲・演奏を指す、ということになろう。
音楽の枠組みを用いて、或いは音楽的満足も与えつつユーモアを提示するものである。
<例>
・作曲上の禁則・禁じ手をわざと盛り込む ・不協和音や不自然なダイナミクスをわざと強調する
・漫画的に極端でわざとらしく演奏する ・同じ失敗を繰り返す
・終わったと思ったらまた最初に戻り、永遠にリピートする
・楽器ではないもの (日用品など) を使用して ”演奏” する
・楽器でないものの音を、音楽の中に盛り込む
・複数の曲を同時に、または交互に不思議な調和を以って演奏する
・たくさんの楽曲を次々とメドレーにする ・特異な衣装やアクションを以って演奏する
✔モーツァルトの冗談音楽

「冗談音楽」として想起されるのは何といっても後に詳述するように1940-1950年代を中心としたアメリカの音楽シーンなのだが、こうした音楽を介した ”笑い” というものは遥か以前から存在している。
例えば、かの天才作曲家モーツァルト ( Walfgang Amadeus Mozart 1756-1791)が「音楽の冗談」(Ein Musikalischer Spaß k.522 1787年)というディヴェルティメントを遺していることは有名。
当時の古典派音楽の常道を次々と逸脱※ する楽曲であり、モーツァルトはわざとこのような作品 (=悪例) を著すことによって、至らない作曲家や演奏家を揶揄し嘲笑していたというのが通説だが、一方でまさに「冗談音楽」としての愉しみを聴衆に与えていたとの見方もある。
※「出来損ないの転調」「構成上著しくバランスを損ねる、無意味に長いメヌエット(第2楽章)」「ドル
チェからは到底かけ離れたドルチェと指示のあるホルンのフレーズ」「名ソリストを気取るヴァイオリ
ン奏者の滑稽なカデンツァ」「フィナーレに登場する唐突なフーガ」「20世紀を先取りした?複調(F ,
G ,B , E♭,B♭)によるエンディング」など が指摘されている。
極めてまともな合奏団による録音が多数出ており、それを聴くと (エンディングの如くあからさまに違和感のあるものもちょくちょく出てはくるが)今となってはこんな感じの曲もよく耳にするというか、こんな曲もアリでは?という感じもする。
では私自身がこの「音楽の冗談」という作品を凄くいい曲だ!感動した!と思うかというと、「それはない」のが率直なところではあるが…。その理由はやっぱり ”行き当たりばったり感” ”全体俯瞰した際のバランスの悪さ” が豪く引っ掛かるからなのだ。
また(古典派の)禁じ手を使ったから即ダメというより、その使い方に説得力が存在しないから、白けた感じが湧くのだと思う。
【出典・参考】
名曲解説全集 (執筆:海老沢 敏/音楽之友社)
森 泰彦・石井 宏・竹内 ふみ子各氏によるCDリーフレット解説
【私の所有音源】
ヴィリー・ボスコフスキーcond. ウイーン・モーツァルト・アンサンブル
ウイーン室内合奏団 (指揮者なし)
ニコラウス・アーノンクールcond. ウィーン・コンツェントス・ムジクス
✔アメリカでの 「冗談音楽」 大流行
「冗談音楽」の括りの中でも、所謂ライト・クラシックの新機軸として存在したものと、ともかく”笑い”を目指して何でもありのショーマンシップ路線に突っ走ったものとの両極に分かれており、これがともに第二次世界大戦終戦後のアメリカで大いに流行した。そのピークが1940-1950年代なのである。

前者を代表するライト・クラシックの巨匠がルロイ・アンダーソン ( Leroy Anderson 1908-1975 )。「トランペット吹きのための休日」「舞踏会の美女」など、彼の作品は現在でも実に良く知られ愛好されている。その作風はモダンでお洒落、そして上品にしてユーモラスだ。吹奏楽にもアダプトされ大いに楽しまれている。
タイプライター(「タイプライター」)や紙やすり(「サンドペーパー・バレエ」)といった日用品を独奏楽器に使用したほか、馬の駆ける擬音(「ホーム・ストレッチ」)の活用や、時計の音(「シンコペーティッド・クロック」)、馬の嘶き(「そりすべり」)、猫の鳴き声(「踊る仔猫」)などを楽器で表現したり、弦楽器のユニークなパフォーマンス(「プリンク・プレンク・プランク」)を採り入れたりと、「冗談音楽」の要素も大いに発揮して人気を博した。
アンダーソンの作品は音楽としての絶対的水準 / 完成度が高いことにも定評があり、ライト・クラシックの作曲家の中で抜きん出ている。

そして後者の代表- ”冗談音楽の王様” がスパイク・ジョーンズ(Spike Jones 1911-1965) である。編成的にも音楽的にもジャズを基本としており、”ジャズ楽団とその演奏とで表現するコメディー・ショウ” と云うべきものだ。
(CDもWeb動画もあるのでぜひ触れてみていただきたい。)

フライパンや鍋釜を叩き、洗濯板をギコギコ擦り、ピストル(空砲)をぶっ放し… 大小さまざまな家畜の鈴をズラリと並べておそろしく速い曲を鮮やかに演奏してみせたかと思うと、トロンボーンを本当に ”爆破” しちゃったりと「面白けりゃ何でもアリ」の冗談の極みである。この伝でクラシックの有名な曲を「お高くとまってんじゃねーぞ!」とばかりぶちかます、その痛快さも気持ちいい。
メチャクチャ、デタラメの限りのようで(音色は荒いが)実は奏者たちは非常に達者である。こうした「冗談」は達者な演奏でないとキマらない、カッコ良くない、オモシロクない!という事実は歴然だ。
音楽の素養がないと本当の面白さを感じられないネタもあり、これが決してただのドタバタコメディではなく、「音楽の遊び」 であることに気づかされるのである。
※スパイク・ジョーンズに多大な影響を受け、これを日本に持ち込んで大ウケとなったのが「フランキー堺
とシティ・スリッカーズ」や「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」である。
✔現代の「冗談音楽」

尚、現在「冗談音楽」はクラシック音楽の ”前衛” との境界にあると云えよう。
中でも突き抜けたユニークさで注目されたのがアルゼンチンの前衛作曲家、マウリシオ・カーゲル(Mauricio Raúl Kagel 1931-2008)だ。
終盤で突然指揮者が心臓発作で?斃れ、曲名そのものを体現してしまう(笑) 奇曲「フィナーレ」はテレビ番組でも採り上げられ有名となったし、「イーゴリ・ストラヴィンスキー公」のインパクトも凄い!
この「イーゴリ・ストラヴィンスキー公」は管弦打入り混じる特異な室内楽編成+バス(男声)という合奏形態の曲なのだが、後半で突如長~い板を持った坊さん(?) が登場し、悠然と闊歩しながら時折その板を叩いて音を出し…という、シュールさ極まる作品なのである。


更にカーギルといえば「ティンパニ協奏曲」のエンディングも有名。
そもそもメガホンでヘッドに声を響かせながら叩いたり、マラカスを上に転がしたりといった様々な奏法が独奏ティンパニに求められている曲なのだが、何といってもキチンと ”記譜 (指示) ” もされている※ エンディングの衝撃は圧倒的に過ぎる…! ※尚、前述の「フィナーレ」でも指揮者の斃れ始めるタイミングや「指揮台を引き倒す」などの演技に関する
”記譜 (指示) ”は明確になされている。
♪♪♪
ドン・ギリスが活躍したのは、ルロイ・アンダーソンやスパイク・ジョーンズとまさに同時代。ギリスの作品も、こうした時代の流行を取り入れたものだったのである。
今聴くとまさに ”時代” を感じさせる古さも否定できないが、一方で普遍的な音楽のユーモアも確りと伝わってくる。
■楽曲解説:ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ

題名はもちろん 、
”3月” と ”行進曲” とをかけた洒落…それ以上の意味はない。
6/8拍子ff のフル・テュッティのユニゾンによるイントロダクションに始まるのだが、まあその大仰なこと!

ほどなく2/4拍子に転じて Wood Block とともにトボケた旋律が流れ出す。
ユーモラスなムードはそのままながら
これに呼応する Trombone ソリはなぜかちょっとお洒落でハーモニアス。

続いて Muted Trumpet の更にすっトボケたソロ…
このあたりのセンスが絶妙である。

大仰なイントロの再現を挟み、いよいよ打楽器のソリへ。ここからトボケたまんま ”悪ノリ” に突入していく。
杓子定規にリズムを刻むスネアとバスドラムとは対照的にぴょこぴょこ跳ねまわるような Timpani が変に可愛らしい!
そして Chime に続いて次々に加わってくる木管も、ベースラインも中低音金管
(+ Sax.) もどいつもこいつもが、すっトボケたフレーズを一心不乱に繰り返す
-そのさまに笑いがこみ上げてくるのである。
更に素っ頓狂な Trumpet の”信号” が吹き鳴らされ、全てが織り重なり合い ”冗談” は最高潮を迎える。
前半が短く再現された後コーダに入るが、ここもやはり大仰で、唐突感も匂わせるエンディングとなって曲を閉じる。
■楽曲解説:台所用品による変奏曲

構成は3部形式+コーダ。
Trombone のグリサンドを多用したりと終始諧謔味に満ちてはいるが、旋律やリズムもごくシンプルなこの 「曲」 自体は、あくまで「主役」たちのバックグラウンドに徹している印象である。
-その「主役」こそが…さまざまな台所用品!
フライパン、洗濯だらい、鍋、ボウル、パイ皿、歯車式泡立て器、食器用洗い桶、鉄板を使用することが、さまざまな撥だけでなくフォークなども使うその ”奏法” とともに、スコアに示唆されている (!)。


これら 台所用品を「演奏する」 8人の奏者は、シェフ帽や三角巾を被り、エプロンや割烹着を纏った料理人に扮してステージ前方にズラリと並び、ひたすら陽気で賑やかにパフォーマンスするのが恒例である。
まさに当時流行していた ”冗談音楽” を愛らしい曲想で吹奏楽にアダプトしたもの。ひところは本邦のコンサートでもとてもよく演奏され、大ウケであった。

■推奨音源
音源は両曲とも極めて乏しい。
✔ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ

今村 能cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
この曲の ”大仰さ” や、堂々とした ”ふざけ” を充実したサウンドとメリハリのある曲作りで聴かせる名演。
唯一の商業録音(LP)であり、未だCD化されていない。
✔台所用品による変奏曲

赤池 史好cond.
神奈川・静岡・石川・愛知県警合同音楽隊
全国警察音楽隊演奏会の Live 録音 (LP)、この曲も他には (Web動画を除き) CDはもちろんレコードも見当たらない。
まあ、そもそも聴くだけでなく ”視る” 曲なのだから已むを得ないか…。
-Epilogue-
ルロイ・アンダーソンの楽曲などは「冗談音楽」の要素がピタっと嵌った楽曲自体が、音楽的にも説得力のある出来映えとなっている。そしてそのレベルに達した楽曲を、また演奏者がキッチリ音楽的に演奏するからこそお洒落でカッコ良いのである。
そもそも「冗談音楽」とは、ハイレベルな者だけに許された ”遊び” なのだ。
吹奏楽の世界では「冗談音楽」まで行かずとも、踊ったり動いたりといった要素も含めショー的な演出を絡めて演奏することも多い。しかしこうしたパフォーマンスは企画自体にセンスが問われるし、何より演奏が ”その気で” キメた上質なものでないと、全くサマにならず却って聴衆を失望させてしまう。演奏者サイドはこのことをシビアに心へ刻み、確固たる「腕」と「覚悟」をもって取組まなければならないのである。
<Originally Issued on 2017.2.3. / Revised on 2022.8.29. / Further Revised on 2023.12.11.>
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