top of page
hassey-ikka8

吹奏楽のための神話 -天岩屋戸の物語による

更新日:2024年5月18日

Myth for Symphonic Band - on the Story of "AMANO-IWAYADO"

大栗 裕 Hiroshi Oguri  (1918-1982)


-Introduction-

「天の岩屋戸にアマテラスが身を隠したため世界は暗闇となる。八百万の神が天安河原に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊りだす。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦がまきおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手をひいてつれだす。そして世界は再びもとの光明をとりもどすという話である。

音楽はこの話をかなり即物的に表現しようとするが、如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこの話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。」

この作曲者・大栗 裕自身のコメントにある通り、「吹奏楽のための神話」は「天岩屋戸(天岩戸)」の物語に基く交響詩的作品である。


■日本神話「天岩屋戸(天岩戸)の物語」


✔物語の内容

この神話は古事記と日本書紀に所載されており、弟である素戔嗚尊(スサノヲ)の乱暴狼藉を恐れた太陽神・天照大神(アマテラス)が天岩屋に引きこもってしまうことから始まる物語で、古代日本の権力者交代を示すという説や、或いは日食現象をもとに創られたという説など、さまざまな分析がある。


しかし何より物語自体が、作曲者に強烈な記憶を残したように大変興味深いものなのである。


そもそも太陽神がひきこもることで天上界も地上も真っ暗闇になり、それがさまざまな禍を引き起こすという設定が面白いし、八百萬の神々が集合してアマテラスにお出ましいただくよう対策を練るというのも実にユニークである。


そして芸能の女神・天宇受賣命(アメノウズメ)のエロティックな踊りに神々の笑いが湧き起こるさまや、剛力の神・天手力男神(タヂカラオ)が岩戸に手をかけアマテラスを引き出すさまなど、ヴィジュアライズされた情景を想い描かせるのだ。

神聖で神秘的な-しかしどこか世俗的な親しみとがない混ぜになったその世界観にぐっと惹きつけられてしまう。


✔天岩戸の伝説

この「天岩戸」の日本神話にまつわる神社・史跡は日本全国に存在している。それはこの神話が古から日本中で深い興味を以って伝承され、「天岩戸はどこにあるのだろう」「まるで天岩戸のような風景だ」といった想いを人々に紡がせてきた証左であろう。



中でも有名な宮崎・高千穂の「天岩戸神社」には天岩戸 (撮影禁止とのこと) の他、八百萬神が集まり神議を行ったと伝わる天安河原という大洞窟 (上画像) も存在している。

そこに伝承される神事も含めこの神社と「天岩屋戸神話」とは、尋常ならざる深い関わりを感じさせるのである。


■作曲者

大栗 裕は管弦楽曲はもちろん、歌劇などにも多くの作品を遺した優れた作曲家。吹奏楽の名門・天王寺商高出身でプロフェッショナルのホルン奏者として活躍していたこともあり、吹奏楽にも多くの得難いレパートリーを提供している。

作品は「小狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」などが端的に示すように、土俗的、特に大阪土着の音楽に根ざした曲想に特徴がある。一方で、作風は現代的であり、その不思議なマッチングこそが独特の個性である。



吹奏楽に於いても重要なレパートリーとなっている管弦楽曲「大阪俗謡による幻想曲」が大栗 裕の盟友である指揮者・朝比奈 隆によってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏され、一躍名を高めたエピソードは有名。大栗 裕は「東洋のバルトーク」と評された。


■作曲経緯と初演、そして全日本吹奏楽コンクールでの名演登場

✔作曲経緯と初演

この「吹奏楽のための神話」(1973年)は伝統ある大阪のプロフェッショナル・バンドである大阪市音楽団(現 オオサカ・シオン・ウインドオーケストラ)の創立50周年を記念して作曲されている。

1973年9月26日、大阪市中央体育館で開催された「大阪市音楽団創立50周年記念演奏会」において永野慶作指揮の同団により初演。





キャパシティの関係で選ばれたこの体育館はコンサート会場としては広すぎ、また折悪く激しい雨に見舞われその雨音の影響もあり、残念ながら本初演は演奏効果を充分に発揮することはできなかった ようだ。

 ※出典:バンドジャーナル掲載の鈴木竹男氏レポート(写真も同誌)

       上掲右画像:初演指揮・永野慶作と作曲者・大栗裕


✔全日本吹奏楽コンクールの名演から、稀代の人気曲へ

初演こそ前述の状況であったが、本作品の素晴らしさはクチコミでも各地に広まっていった。吹奏楽連盟講習会の講師を通じてこの曲の存在を知ったというのが、四国の雄・徳島県富田中を率いる糸谷安雄先生 である。

「神話」 に惚れ込んだ富田中は本作を自由曲に選び、1975年の全日本吹奏楽コンクールにて見事金賞を受賞した。今津中・豊島十中が5年連続金賞で招待演奏に回ったこの年、名門・富田中は心に期するものもあったと思うが、実に表現豊かな秀演で文句なしの金賞を手にしたのである。


 ※出典:バンドジャーナル1976年1月号「特集・第23回全日本吹奏楽コンクール」

  尚、当該記事中で糸谷先生は次のようにコメントされている。

  「練習が進むにつれ、この曲の持つ魅力にすっかりとりつかれ、今年の自由曲に決定させてもらった。しかし

  13分30秒という大曲のため、半分近くもカットせざるを得なかったのは、たいへんに残念であった。特に美

  しい笙の響きを思わせるクラリネットの重奏の部分をもカットしてしまったのは、今でも心残りである。」

  -ああ、やっぱりなと思う。こういう感覚、想いで楽曲に接しなければ人に感銘を与える演奏は生まれない

  のだ。”却って効果的” などとコンクールの勝敗だけに頭を巡らして心ないカットを施し、楽曲不在となって

  いるケースはないだろうか。繰り返し言うが、もうそんな演奏は聴きたくもないのである。


私が「吹奏楽のための神話」を知ったのも全日本吹奏楽コンクール Live 盤で聴いた富田中の演奏が最初である。冒頭の木管の7連符からして凍りつくような迫力を感じたし、続く前奏部も実におどろおどろしく冷やーっとした感じがして、独りで聴いていると怖くなるほど…。それほどまで強い印象を与える、優れた表現力の演奏だった。

富田中は翌1976年「地底」、翌々1977年「瞑と舞」と邦人作品を中学生離れした鋭い感性で次々と好演し、”邦人の富田” の名を轟かせることとなる。


今や吹奏楽の邦人オリジナル曲として最も多く演奏される作品の一つであり、全日本吹奏楽コンクールでも延べ41もの団体が採り上げ(2023年度終了時点)、多くの秀演が生まれた「吹奏楽のための神話」は、間違いなく吹奏楽史上に燦然と輝く名曲なのである。、


■楽曲解説

「吹奏楽のための神話」は既に述べてきた通り、”天岩屋戸伝説” を極めて描写的に音楽にした交響詩的作品であり、鑑賞や演奏においては描かれた情景に想いを巡らさなければならない。

全曲の構成としては、Adagio - Allegro molto - Andante - Allegro molto - Andante の5つの部分から成っているとみることができる。

 

Ⅰ. Adagio

アマテラスの天岩屋戸への引きこもりと高天原・葦原中国の暗闇、八百万の神々の会議、やがて響きわたる長鳴鳥の鳴き声


冒頭の木管群の鋭いフレーズと Timpani の応答が、真暗闇の情景を一瞬にして映し出す-。


暗々たる音楽は厳かさも備えて神の領域を示すとともに、高揚するにつれ雅楽的な響きがして、日本的な色彩を湛えている。一気に日本神話の世界に引き込むあたりが、大栗 裕の最高傑作とされる所以である。







暗闇に蠢くのは神か、物の怪か-。Trombone のグリッサンドが、とても効果的にその密やかなざわつきを表すのだ。



続いて木管群にミステリアスな旋律が現れ徐々に高揚し、

それが繰り返された頂点で緊張感漲る木管のトリルに導かれ、Muted Trumpet が長鳴鳥の鳴き声を奏する。


これに続いて、いよいよアメノウズメの踊りが始まるのである。


Ⅱ.Allegro molto

アメノウズメの狂乱の踊り、八百万の神々の爆笑


アメノウズメが踊る情景を現すのは、賑やかな打楽器群に導かれた10/8拍子を主体としたエキサイティングな舞曲。

各楽器が楽句を応酬し、その音色も含めた ”対比” が聴きものである。

ここでは Timpani や Snare Drum (snare off) はもちろんのこと、Bongo や Conga も大活躍、ラテンパーカションは ”古代の野性” を表現するにふさわしく、これが純和的な楽想に見事に溶け込み、また映えているのが洵に素晴らしい!


このリズムに乗った土俗的な舞曲の熱狂が、この曲独特の個性を決定づけている。

ますますスケールアップした音楽は締太鼓のリズムと下降するベースラインに導かれて、一層生命感とエナジティックさを極め高潮していく。



一旦静まったのちに楽句が重なり合って放射状に高揚し頂点を迎え、重厚なドラの一撃。

スネア・オフのドラムに続いて、荘厳なサウンドが響きわたるや場面は岩屋戸の中へと転換する。


Ⅲ. Andante

天岩屋戸の中のアマテラスの不審、揺れる心情


不審に思い外の様子を窺うアマテラス-。この場面では木管が存分に聴かせる。

このAndanteの全編に亘って現れる幻想的な木管のアンサンブルと、そのバックで密やかに蠢く打楽器たちとが映し出す情景の神秘さは、洵に筆舌に尽くし難い。


まず Timpani のソロイスティックな伴奏を従えた Flute のソロ。


これに続いて Clarinet (+Oboe) が重なり合い、まさに笙の如き不思議な美しさの世界を織り成す。大変印象的な音響である。


続いて Clarinet へとソロが移り行く。


Ⅳ.Allegro molto

再びアメノウズメの踊り、増嵩する熱狂、高天原を揺るがす神々の囃し声


岩屋戸の外では引続き賑やかな踊り。


踊りに熱狂するアメノウズメの衣服がはだけ、遂にはあられもない姿となって更に踊り狂い、神々にどっと笑いが起こり、高天原がその笑いで揺れる情景が描かれるのだ。




 ※参考画像(アメノウズメの踊り) 出典:「アマテラス」 舟崎 克彦 著 / 東 逸子 画 (ほるぷ出版)


エキサイティングな舞曲はオスティナート風に反復される木管群の旋律に、遁走するTrumpet と Trombone のモチーフ、4拍3連のビートを打ち込むベースライン、更に打楽器群のリズムも渾然一体となって、じりじりと昂ぶりを強める。


そして、遂にその時がやってきた-。

頂点で打ち鳴らされるドラに続き、厳かな光が洩れて岩屋戸が開く!











Ⅴ.  Andante

岩屋戸を僅かに開き外を覗くアマテラスを写す鏡の登場と岩戸から洩れさす光、タジカラヲに引き出されたアマテラスと神々の歓声、天上天下に光が満ち輝く情景


Muted Trumpet に曲頭 Adagio の旋律が再び現れ、岩屋戸から洩れ出す光が徐々に強まっていくさまが、高揚していく音楽によって劇的に描かれる。

そしてアマテラスが引き出され、これを待望していた神々の歓声の如く、高らかにTrombone が雄叫びを挙げるのだ!



再び Adagio の旋律が重厚なテンポで朗々と奏されるスケールの大きな祝い唄が、眩いばかりの光に満ちた世界を示して大団円となる


最後は冒頭が逆モーションで再現

(Timpani →木管7連符)され、潔くそしてキレのいいエンディングが、遥か昔の神話を語り終えたことを告げる。















■推奨音源

朝比奈 隆cond.大阪市音楽団(1975年録音)

ふさわしい ”雰囲気” が充満しており、やはりこの委嘱者である大阪市音楽団と、作曲者の盟友であるマエストロ・朝比奈 隆による演奏が、大栗ワールドを最も体現している。

尚、この1975年録音では、練習番号Nから練習番号Pの1小節前までがカットされている。(音楽之友社出版譜にて確認。)同じく朝比奈 隆cond.大阪市音楽団の演奏による、1974年のコンサートLive録音を聴いてみると、カットはなく譜面通りである。

従ってカットされた部分は、作曲者が後に書き加えたものなどではない。指揮者=朝比奈 隆は大栗 裕と盟友関係にあったから、作曲者の了承を得て行ったものと推定される。果たして、なぜ敢えてカットされたのか-。カットされているのは、踊りの場面が終末に向かって熱狂を強め、高揚していく部分。これが前半にもそのまま登場してしまうと、「繰返し」のイメージが生じて、最終盤のクライマックスを演出するこの部分の圧倒的な印象が、弱まってしまう気がする。

私個人としてはこのように考え、このカットは楽曲の訴求力を一層高める有意なもの、と捉えている。よって、前述の通り作曲者も了承していたのではないかと推定されることもあり、この ”1975年録音版” の演奏をお奨めする次第である。(前掲の楽曲内容も、このカット版に基き記述している。)


【その他の所有音源】

  ダグラス・ボストックcond. 東京佼成ウインドオーケストラ

小田野 宏之cond. 東京佼成ウインドオーケストラ 

木村 吉宏cond. 大阪市音楽団

朝比奈 隆cond. 大阪市音楽団 [1974 Live]


-Epilogue-

この「神話」という曲は本当に魅力に満ちている。

前述の通りコンクールでの秀演も多いが、この曲の持つさまざまなコントラストやドラマ性といったものを、存分に表現した演奏を望みたい。殊に、ともすれば ”落ち着き” が生じてしまいがちな舞曲の部分で、どれだけ拮抗した緊迫感とスピード感を保てるかが注目である。そうでないと、緩舒部分の神秘さとの対比が生きてこない。「神話」を聴くときは、いつもそんな期待をしている。



また、吹奏楽オリジナル曲としては屈指の Trombone が大活躍する楽曲であり、Tromboneセクションの好演が求められるのは云うまでもない。

 ※上画像:朝比奈 隆cond.大阪市音楽団 1975年録音初出のLP盤

 

   

   <Originally Issued on 2008.5.21./Overall Revised on 2016.8.2. / Further Revised on 2023.11.7.>

閲覧数:1,277回1件のコメント

最新記事

すべて表示

1 Comment


Guest
Nov 07, 2023

「橋本音源堂」堂主です。

本稿につきましては、旧ココログ版で私の友人の打楽器奏者HARA-Pさんが、とても興味深いコメントを寄せて下さっていました(2010.10.31.)ので、これを転載させていただきます。


******

「神話」。この曲は大好きな曲というだけではなく、おそらく私自身の本番演奏回数が最も多い曲でもあります。記録によれば、三か所の楽団で計五回も演奏しています。うち二回は郷里の熊本の同じ楽団で、演奏会とコンクールで。上京後は、音源堂さまも在籍されていたあの楽団で一回、残り二回はまた別の楽団で演奏会とコンクールで。

しかも毎回毎回担当楽器が異なり、この曲のほとんどの打楽器パートを経験することができました。

この曲がこれだけ人気があるのは、そのシリアスな曲想の割に、とても「わかりやすい」点だと思います。物語の場面場面が次々と目に浮かぶ曲の造りは、初めて聴く時にはなんとなくとっつきづらく感じても、聴いていくうちにその世界にのめりこまされてしまう…そんな作品だと思います。

打楽器奏者的にも面白い作品です。

例えば「アマノウズメの踊り」のBongoパートは、

HLL HLL HLHL | HLL HLL HLHL (H=高音/L=低音)

となっていますが、二小節だけ、

HLH LHL HLHL | HLH LHL HLHL

となっている箇所があります。

これは恐らくこの箇所の金管の音色の違いに合わせて手順を変えたのだと思いますが、ここでわざわざ別に楽器を用意するのではなく、叩く手順を変えるだけで音色の違いを作っている(のだろう)と気づいた時、そのアイデアにただただ目から鱗の思いでした。

("LHL"のアタマの"L"にアクセントをつけるだけで、なんとなくBongoのピッチ全体が低くなったような錯覚を引き起こさせている気がします)

長文になってしまいました。

この曲については色々と書きたいことがありますが、今回はこのへんで…。

Edited
Like
bottom of page