Novena, Rhapsody for Band
J. スウェアリンジェン James Swearingen (1947- ) -Introduction- スウェアリンジェンという作曲家の作品において、響き・サウンドといったものの安定性- ” 軽量なのに堅牢 ” な感じは他の追随を許さないと思う。非常にオーソドックスな手法による楽曲ばかりであり、奏者サイドが不安を感じることなく演奏できる一方で、その軽やかさにより現代的な感覚を纏わせているのが人気を博している理由であろう。この域に達している作曲家はそう多くはないと感じる。 ■楽曲概説
✔スウェアリンジェンの出世作
ジェームズ・スウェアリンジェンはスクールバンド向けの吹奏楽作品を多数世に送り出している作曲家で、その作品は世界中で愛好されている。「インヴィクタ序曲」 「シーゲート序曲」 「栄光のすべてに」 「春の喜びに」 「チェスフォード・ポートレート」 「ロマネスク」 など、700を超える作編曲作品が出版されているが、狂詩曲「ノヴェナ」 は彼のキャリアとしては初期にあたる3つめの吹奏楽作品であるとともに、大ヒットしてスウェアリンジェンの名を世界に知らしめた代表作である。
この楽曲はアメリカオハイオ州のアントワープ高校バンドから委嘱され同校が初演したものだが、スウェアリンジェンの付したもともとの題名は 「前奏曲とファンファーレ」 というものであった。この題名に対して出版社よりNGを出されていたところ、アントワープ高校のバンドメンバーから提案があったのが 「ノヴェナ」 という曲名だったという。かかる経緯からすればこの楽曲に標題性はなく、自由な楽曲としての 「狂詩曲※」 であることが推定される。
※狂詩曲 (Rhapsody)
叙事的・英雄的・民族的な色彩を持つ ”自由” なファンタジー。(音楽之友社「新音楽辞典 楽語」) 自由
奔放な構成であるとともに、民族的な音楽が素材となることも多い。フランツ・リストの全19曲から
成る 「ハンガリー狂詩曲」 や、モーリス・ラヴェル 「スペイン狂詩曲」、ジョージ・ガーシュウィン
「ラプソディー・イン・ブルー」、外山雄三 「管弦楽のためのラプソディー」 、吹奏楽ではモートン・
グールドの 「狂詩曲ジェリコ」 などが代表的なものであり、これらの曲を思い浮かべると 「狂詩曲」の
イメージが具体的につかめるであろう。 スウェアリンジェンがこの曲を「狂詩曲」としたのは、元の素材となった音楽が存在したことを示唆す
る可能性もあるが、資料/記録は見当たらず不詳である。
✔「ノヴェナ」-ローマン・カトリックの特別祈祷 本楽曲の題名に採用された 「ノヴェナ」 とは ”9” という数字を意味するラテン語の ”novem” に由来し、ローマン・カトリックにおいて特定の意図や願いを持って、あるいは大きな祝祭行事を迎えるにあたり9日間続けて行う祈りのことを指すものである。日本語では 「9日間の祈り」 「9日祈祷」 「9日特祷」 などと称される。
ノヴェナは17世紀に始まった信心業で ”特別な願い” を神に聞き入れていただくため9日間祈り続けるもので、使徒たちと聖母が高間において聖霊を求め主の昇天から五旬祭 (聖霊降臨) まで祈ったという 「使徒言行録」 (新約聖書、1.13~14、2.1~4参照) の記述を模範としていると伝わる。”9” という数字そのものには特別な意味はないが、” 忍耐強く祈り求める” ことを具体的に実践するものとされている。
【出典・参考】聖パウロ女子修道会HP Laudate Laudate | キリスト教マメ知識
ノヴェナの中で最も代表的なものは 「クリスマス・ノヴェナ」 である。 これは12月16日から12月24日の9日間に行われるクリスマスを迎える連続祈祷であり、クリスマスに向けた心の準備を意識したものであるという。
このようにカトリック教徒における祝祭 (上掲画像の「奇跡の聖キリストの祝日」も同様) に向けて催されるものが多い。
私の推定に過ぎないが、1980年3月に初演されたこの曲に 「ノヴェナ」 という題名を提案した高校生は直近に行われたクリスマス・ノヴェナの様子を想起したのかもしれない。
鐘の音が響いて始まる厳かでストイックな前奏に続き祝祭の華々しく快活な曲想へと展開するさまは、忍耐強く連日続けられる祈祷とその末に訪れる祝祭の大きな喜びのイメージに、とても合っている気がする。
また、1987年9月にローマ法王ジョンⅡ世がエドモントン(カナダ)を訪れた際には、法王のヘリコプターによる到着を歓迎するため、500人のユース・バンドがこの 「ノヴェナ」 を演奏したというエピソードもあり、「ノヴェナ」 がスウェアリンジェンの代表曲として評価/認知されていることを象徴するものと伝わっている。 【出典・参考】
C. L. バーンハウス社 HP James Swearingen | Barnhouse
CD 「エル・カミーノ・レアル」(fontec) リーフレット所載の 三宅 孝典氏 解説
CD 「ジェイムズ・スウェアリンジェン作品集」(WAKO) リーフレット所載の作曲者コメント ■楽曲解説
Adagio ♩=60-66 の緩やかなテンポで Chimes ※の B♭音が2度厳かに鳴り響いたのちに、Piccol+Clarinet+Alto Sax. のユニゾンによる旋律が始まる。この旋律提示が段落するまで、バックで Chimes が鳴り続けるこの序奏部には、やはり宗教的な敬虔さがあふれている。心穏やかで安寧な ”祈り” をイメージさせるのである。
※チャイム/チューブラーベル ( Chimes / Tubular Bells )
通常18~20本の金属製の管(サウンドコラム)がスタンドの各枠に下げられ半音階に調律された打楽器で、ハンマーで打って演奏する。教会の鐘の音を模したところからチューブラーベルとも呼ばれる。スタンドの下部にはペダル式のダンパーがあり、これを操作することで響きを開放したり止めたりすることができる。管(サウンドコラム)の太さは楽器によって異なるが、太管のチャイムは豊かな基⾳とサスティンそして広いダイナミックレンジが特⻑で、 ⼤編成の中でも埋もれないパワーがあるとされている。 管弦楽曲や吹奏楽曲を華々しく、また時には厳かに彩る存在であり、非常に多くの作品に使用されている花形楽器。尚、日本において誰もが知るこの楽器のフレーズは日曜昼の超長寿番組「NHKのど自慢」で奏される ”鐘の音” であろう。
(出典・参考:音楽之友社「新音楽辞典」、ヤマハ株式会社HP)
これに続きハーモナイズされた新たな旋律が、対旋律も伴って現れる。やや活気を帯びたふくよかな音楽である。
高揚し ff の全合奏とベースラインの応答となって、前奏部のクライマックスを形成する。
その応答が一旦 p となってから急激にせり上がって繰返されるのだが、これが大変アピーリングである。
鎮まって再び安寧な冒頭の旋律が戻り、静かに前奏部を閉じる。
遠くからシンコペーションの Timpani+Bass Drum とともに Snare Drum の快活なリズムが聴こえてきて一息にクレシェンドし、 Allegro marcato ♩=152-160 の主部に入る。スウェアリンジェン得意の展開である。
これに導かれて全合奏による華々しい曲想となり、前奏部と鮮やかなコントラストを描く。エキサイティングな打楽器ソリが応答するさまもまさに ”スウェアリンジェン” !
4/4 拍子に 3/8+3/8+2/3 のリズムを絡ませるのも得意の手法であり、主部に入ってからはまさに ”スウェアリンジェン節” 全開で展開していく。
続いて 3/8+3/8+2/3 のリズミックな伴奏とは対照的な、清々しく悠々とした旋律が木管群に現れる。
この旋律とエキサイティングな全合奏、またファンファーレ風の楽句とのコントラストが効いて聴くものを惹きつけるのである。
そしてひと時のまどろみのような ♩= 66 が挿入されるが、ここは全体でもっともラプソディックな情緒が感じられる部分である。
このまどろみから徐々に覚醒し、遂に天空へ堰を切って眩しい光があふれだすようにして Allrgro con moto ♩=152-160 に戻る。
Chimes および Bells の華々しい音色と、全合奏一体となった sffp クレシェンドの鮮烈さには誰もが爽快に心を躍らされるだろう。
オーケストレーションを変えながら主部がコンパクトに再現されたのち、アラルガンドを経て Maestoso ♩= 76 のコーダへ入り、重厚壮大な響きで全曲を締めくくる。 ■推奨音源
汐澤 安彦cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
緩徐で厳かな前奏部と、快活な主部との対比が大変鮮やかで、この楽曲の魅力を発揮させる演出が感じられる。
主部中間にひと時挿入される静謐で清らかな曲想から一転、Chimes に導かれた主部再現においても生命感の輝きに心躍らされる。
そこには躊躇のない、そして極めて明晰な発奏が効いているわけだが、最近の吹奏楽演奏にはこれを欠くものが多いのだ。
現田 茂夫cond. 大阪市音楽団 [Live] 全編に亘り落着きのある、ふくよかな演奏。
緩徐で厳かな前奏部において、特にその良さが発揮されている。
【その他の所有音源】
木村 吉宏 cond. 広島ウインドオーケストラ
エドワード・ピーターセン cond. ワシントン・ウインズ
丸谷 明夫 cond. なにわオーケストラル・ウインズ [Live]
松尾 共哲 cond. フィルハーモニック・ウインズ大阪
-Epilogue-
冒頭で述べた通り、スウェアリンジェンの楽曲は演奏して安心な曲ばかり。内容的にも演奏者・聴衆の双方ともにわかりやすく、何の問題もない。
しかし、である。こうした楽曲の出来や平明さに ”甘え” て、「ただ演奏しただけ」 になってはいけない。如何なる場合も最大限の表現、そして楽曲を最も輝かせることができるよう努めなければ…! こういう楽曲を好演できるバンドって、本当に素敵だと思う。
<Issued on 2025.1.16.>
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