Festival Overture / Overture de Fete
三善 晃 Akira Miyoshi (1933-2013 )
※ 欧文標題は二通りあり Festival Overture はNHK出版のスコア表記に拠る
-Introduction-
2025年、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに大阪・夢洲にて 「2025年日本国際博覧会 (大阪・関西万博)」 が開催される。想定来場者数約28,200千人・経済波及効果約2兆円を見込む※ 壮大な規模の博覧会だが、日本で開催された「万博」で真っ先に想起されるのは、大成功/大盛況を収めた1970年の「大阪万博」であろう。
その開会式において演奏された「祝典序曲」は現代音楽の巨匠・三善 晃の手に成るものであった。
■1970年 大阪万博
✔日本万国博覧会 (通称:大阪万博 / EXPO '70)―概説
”人類の進歩と調和” をテーマとした1970年の大阪万博は、文字通り日本にとってのナショナルプロジェクトだった。
同年3月14日から9月13日まで183日間に亘り大阪・千里丘で開催され、通算来場者数は6,421万人超となり大成功を収めた。第二次世界大戦後の高度経済成長の真っただ中にあった日本における国民的な祭典と位置付けられているのである。
この万博プロジェクトは東京オリンピックの翌年=1965年9月に開催決定するや当時の日本の英知を結集して急ピッチで準備が進められ、1967年3月には会場を大阪・千里丘陵に定めて造成に着手した。
✔見どころ
会場は「近未来都市のモデル」として設計された。基本構想(チーフプロデューサー:丹下健三)は連日さまざまな催し物に賑わう ”お祭り広場” や 「太陽の塔」(左上画像)を中心としたテーマ展示館、劇場、美術館などを集めたシンボルゾーンを木の幹に、動く歩道を枝に、内外のパビリオンを花に見立てるというものである。
アポロ12号が持ち帰った ”月の石” が展示され圧倒的な人気を集めたアメリカ館をはじめ、「ウルトラソニックバス(人間洗濯機)」のサンヨー館などそれぞれに工夫を凝らしたパビリオン展示はもちろん、先端技術や芸術、果ては食文化まで世界中のさまざまな文化に触れる博覧会であり、世界的なスターも招かれるなどイベントも実に国際的であった。
✔大阪万博の二面性
しかし一方で、この万博のテーマ ”人類の進歩と調和” は人類の進歩を讃えるだけでなく、科学技術の進歩がもたらすさまざまな負の側面にも目を向けようという主張であったとされる。従来「もの」を見せるイベントであった万博は、第二次世界大戦を経て「見せる万博」から「考える万博」へと既に性格を変えていたのである。開催にあたり理念が徹底的に議論されたが、それは「人類は直面する不調和といかにして対峙し、乗り越えていくか」というものだったという。
これが岡本太郎のプロデュース/デザインした「太陽の塔」を中心とするテ-マ館に明確に示されている。
即ち地下・地上・空中の三層に亘る展示空間であるテーマ館では、それぞれ過去・現在・未来に関する展示が行われ、これは万博のシンボルたる「太陽の塔」が3つの顔※(過去を象徴する背面の黒い太陽、現在を象徴する正面の太陽、金色に輝く未来を象徴する黄金の顔)を持つのと同期したものなのである。
それゆえに
「テーマ館は、史上最大の万博の中でひとり逆を向いていた。「科学の進歩が社会を豊かに、人を幸せにする」ことを大衆社会に120年も啓蒙し続けてきた万博に単身乗り込み、そのありように「否(ノン)!」を突き付けた。」 「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」編著者・平野暁臣)
と解されている。
※ 尚、テーマ館地下には太陽の塔第4の顔=「地底の太陽」 も存在していた。
科学技術の祭典として記憶された大阪万博。
-我々は当時の先人たちがそれに込めていた ”深く鋭く明哲なる” メッセージに対し、あれから半世紀ほどが経過し実際に21世紀を迎え更に時が進みゆく今、いったいどんな顔で相対したら良いのだろうか-。
「人類は直面する不調和といかにして対峙し、乗り越えていくか」
1970年当時既に投げかけられていたこの課題は、2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、これに2023年パレスチナ・イスラエル戦争が続いている現在、改めて著しい危機感を伴って我々人類に問いかけられているのである。
【出典・参考】
「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」平野 暁臣 編著
(小学館クリエイティビビジュアル)
万博記念公園 公式HP https://www.expo70-park.jp/
東京国立近代美術館「大阪万博1970 デザインプロジェクト」https://www.museum.or.jp/event/84170
産経ニュース 平野暁臣氏インタビュー 2014.3.27.
■作曲者・三善晃と「祝典序曲」
✔祝典序曲 概説
「今回の曲は、「祝典」という多くの人びとの、多様でありながら、共通かつ統一的な感情にこたえるように楽想を発展させていきたいと考えて作曲をはじめた。
具体的な曲の構成は、基本原理に基づいていくつかの動機を提示し、それを変奏曲形式で発展させるといったものになる。民族、宗教、政治にとらわれない万国博というお祭りには、地球にいる人間の一人として、一つの契機を期する気持ちがある。生の多義への讃歌。」 (初演時作曲者・三善 晃コメント)
前述してきた1970年開催の大阪万博の開会式 (下画像)のために委嘱され、演奏された楽曲である。
所謂 ”機会音楽”と捉えられるためか、或いは逆に「祝典序曲」という標題から一般に想起される音楽とは全く異なる趣を有することからか、現代音楽分野のみならず本邦作曲界の巨人たる三善 晃の手に成る作品としては、あまり評価されていない楽曲なのではあるまいか?
しかしながら、短い中にも作曲者の美点と個性が随所に盛り込まれた傑作であると私は云いたい。
✔三善 晃とその作品
作曲者 三善 晃は第二次大戦後の本邦作曲界をリードした存在と評される。3歳の頃からピアノのみならず作曲をも学び、東京大学文学部仏文科在学中には日本音楽コンクール作曲部門第1位を受賞するなど、早くからその才能が認められてきた。
ピアノ作品から室内楽、大編成管弦楽と幅広いジャンルの作品があり、現代的でシリアス、緊張感漲る曲想に強靭な個性を感じさせるのだが、親しみやすい合唱曲も多い。
吹奏楽との関係も浅からぬものがあり、「交響三章」「バレエ音楽”竹取物語”」「変容抒情短詩」などの代表作がトランスクリプションされて演奏されるほか、「深層の祭」「クロス・バイ・マーチ」「スターズ・アトランピック’96」など吹奏楽オリジナル曲も多数遺している。
20年以上に亘り桐朋音大の学長を務め、また最先端のクラシック作曲家であり続けた一方で、映像関連の音楽も手掛け1979年にはアニメ 「赤毛のアン」 の主題歌・エンディング曲※ も担当するなど融通無碍に才を発揮し、実に幅広い聴衆を楽しませたのである。
※アニメ「赤毛のアン」(1979年) と三善晃
「赤毛のアン」はフジテレビ系「世界名作劇場」で放映され、好評を博したアニメーションである。三善晃は高畑勲(演出・脚本)の要請を快諾し、主題歌「きこえるかしら」とエンディング曲「さめない夢」、そして劇中挿入歌 「あしたはどんな日」「森のとびらをあけて」の計4曲※
(いずれも作詞は岸田衿子)を作曲した。聴いた瞬間に所謂 ”アニメ主題歌” を超越した音楽になっていることが感じられるので、当時のアニメファンも新鮮な驚きに包まれたことだろう。
抒情に満ちスケールの大きなこの ”アニメ主題歌” は非常に凝ったオーケストレーションで、管楽器としては Saxophone と Trombone のみを使用しているのも個性的。特にエンディング曲 「さめない夢」 の間奏部で雄大に奏でられる Trombone ソリが大変印象的で素晴らしい。
※「花と花とは」も三善 晃作曲であるが編曲は毛利蔵人であるので除いている
✔「祝典序曲」の音楽的背景
「祝典序曲」は作曲者37歳時の作品。
日本の現代音楽研究において大きな成果を遺した楢崎 洋子 (元武蔵野音大教授) は三善 晃の創作活動を5つの時期に分類し、「祝典序曲」が作曲された第2期は 「自身を異邦人と感じながらもソナタをモデルとし、自分なりのソナタを書こうとしていた」第1期を経て、「ソナタをモデルにすることから自身を解放した年代」にあたる、と分析している。
この第2期は器楽・オーケストラと、独唱・合唱との複合作品を展望する一方で ”交響曲” の構想に頭を悩ませていた時期でもあったそうだ。
同時期に先立って作曲された「変容抒情短詩」「マリンバと弦楽合奏のための協奏曲」に ”ソナタの構想と変奏の同居” が認められ、対比的に提示されたその両者が次第に同調しあう関係になって一つのテクスチュアを形成するプロセスが見られる、と楢崎教授は指摘している。そしてこの時期のこうした手法、”基本原理に基いていくつかの動機を提示し、それを変奏曲形式で発展させる” ”断片的なテーマが旋律進行になり、さらに特徴的な性格が吹き込まれる” といった点が 「祝典序曲」にも生かされていると読み解く。
同時にこの時期は管弦楽作品に標題的な傾向が芽吹いていったとし、「祝典序曲」は作曲者が前述のように器楽・オーケストラと、独唱・合唱との複合作品に進む作曲者第3期への過渡期に生み出されたもの、と位置付けているのである。
【出典・参考】 「三善 晃におけるオペラ構想のゆくえ」 楢崎 洋子 https://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/203/203-05.pdf
✔「祝典序曲」の初演
1970年3月14日 (土) 11:00に12,000人の招待客を集めて執り行われた大阪万博の開会式-
天皇皇后両陛下着席時の「越天楽」や、開会の辞に続く国歌演奏をはじめ、管弦楽による奏楽を担当したのは 岩城 宏之指揮 NHK交響楽団 (下画像) である。
もちろん「祝典序曲」も彼らによって野外ステージである ”お祭り広場” において初演披露された。祝典音楽としては突き抜けた内容の本作が、万博会場の聴衆にどのように受け取られたかは判らないが、当時の様子は以下のように回顧されている。
「大編成の吹奏楽団が演奏する「万国博マーチ」 (川崎 優) にのって参加国国旗が入場、その掲揚と一連の式辞に続く天皇陛下の ”開会のお言葉” を受けてファンファーレ吹奏、そしていよいよ「祝典序曲」が演奏された。その終演で皇太子殿下のスイッチオンによりくす玉が開き、中から無数の千羽鶴が舞い散って式典は ”お祭り” へとムードを一変、華やかで賑やかなパレードが始まるのである。」
【出典】「大阪万博-20世紀が夢見た21世紀」:小学館クリエイティビビジュアル)
■楽曲解説
この「祝典序曲」は初めから終わりまで変拍子の嵐なのだが、全編に亘り○/4拍子で表記され3/8や5/8ではなく”1.5/4” ”2.5/4”といった拍子が使用されているのが特徴的である。
随所に Libramente を挟みつつも Presto Vivo で進行する単一楽章のエキサイティングな音楽であり Horn×6、Trumpet×6 と通常より拡大された金管群と多くの打楽器を使用する編成によって、音量・音圧の面でもスケールの大きな楽曲となっている。
冒頭から36小節間が序奏部であり、エネルギッシュに上行するモチーフの提示に始まるが、”変拍子の嵐” は冒頭すら例外でない。
このモチーフ提示に続いて直ちに Librament lento となり、柝(き)※ のリズムが刻まれて開幕を告げるのだが、まさにこれこそは日本固有の ”始まり” のイディオムだ。日本の伝統芸術である歌舞伎の「柝に始まり、柝に終わる」のスタイルを踏襲することで、アイデンティを明確に示しているのである。
この序奏部では鋭い音色でリズムが応酬されるが、緊張感の高い「間(ま)」が大きな効果を挙げている。これもまた日本的な印象を聴衆に刻みつけるのだ。
※柝 (き)
5cm角×長さ30cmの樫材2本から成る拍子木で、打面を丸く蒲鉾型に加工して冴えた音を出す。
歌舞伎の舞台進行は全て拍子木の合図に従って行われる。例えば開幕までを例にとれば、以下のようになっている。
1. 開演30分前に奏される着到という囃子に続いて ”チョン、チョン” と二つ打たれる柝を聞いて、序幕に出演する役者たちは化粧の準備にかかる
2. 開演時間がいよいよ迫ってくると再び二つ打つ”二丁”が響き、そこから長い間を置いて一つずつ柝を打ちながら楽屋近くや小道具、囃子の部屋などを廻って準備ができたか確かめる「廻り十一丁」(時間的には5-10分)が行われる
3. 準備の完了を見届けると更にもう一度 ”チョン、チョン” と二つ打つ=「柝を直す」のを合図に、下座の囃子が開幕の音楽を開始する
4. その音楽に合わせて次第に間隔を詰めて柝を打ち(これを「きざむ」という)、幕が開き終わると改めて一つ ”チョン”と「止め柝」を打ち納める「きざむ」 のも重々しい御殿などの場面で始まる場合にはゆっくりと大間に、逆に長屋などの市井の場面に始まる場合は軽く早く打つなど、柝は単なる合図ではなく、雰囲気を醸し出す役割も果たすのである。
「幕切れ(一幕の終わり)」にも柝が打たれるが、その最初 (柝頭) は主役の台詞や動きに合わせて打たねばならない、また幕中でも浄瑠璃の出語り始め、迫りの上げ下げ、舞台一面に吊下げた浅黄幕の振落しなどのキッカケ全てが「柝」で行われる。
以上のように、柝はまさに舞台進行の全てを握っているので誰でもできるものではなく、これは歌舞伎の舞台に精通した「狂言作家」という歌舞伎界固有の職掌が担当することとされている。
【出典・参考】 「歌舞伎音楽入門」 ( 山田 庄一 著 / 音楽之友社 )
激烈な序奏は一旦静まり、Prestissimo の主部に入る。
低音群からストレッタで織り重なる主題に続き、弦楽器+Flute+Clarinet+Horn の旋律と、他金管群+打楽器の奏する激しいリズムとが対比的に fff で奏される。
この部分は ”キメ” のニュアンスも含めて、まさに和太鼓群による豪壮な奏楽と、その打ち手の乱舞をも想い描かせる大変エキサイティングな音風景である。
( 左参考画像 「鼓童」 演奏風景) これに続いて打楽器ソリのみとなるブリッジの方が逆に西洋的な表情を見せることに、とても不思議な感じがする。
「柝」を素で使ったかと思うと、今度は和太鼓をそのままフィーチャーすることはなしに、和太鼓の世界観を表現してしまう-。
なんて自由自在で、凄まじくカッコ良いのだろう!
ブリッジに続き、ダイナミクスを収めた抒情的な旋律が弦楽器と木管楽器、Horn のアンサンブルに現れるが、
その有機的なありように、生命力の迸りが感じられて已まない。
さまざまな方向からたくさんの手が伸びて、一つの ”求めるもの” を求めて騒然となっていく-そんな風景の幻想を私は抱く。複雑な楽句が絡み合う混沌が発するエネルギーはいよいよ高まって圧倒されるばかりであり、それが一つの方向へと流れ込んでいくような感覚をおぼえるのである。
スピード感やテンションはずっと張り詰めたままだが、明確な打楽器のリズムが現れて風景が変わる。動きが大きくまとまってより鮮烈な応酬となり、大きな振幅で心が揺すぶられるだろう。その心の早鐘も Lento pesante の多重和音の極めて現代的な激烈な響きによって決然と締めくくられる。
そして2/5拍の静寂に続いて Trumpet が冒頭のモチーフを荘厳に吹き鳴らす Libramenteへ。
祭りを司る者のレシタティーヴォに続いて、太鼓が打ち鳴らされ地鳴りのような群衆の声がこれに応答するさまであろうか-カウンターで濃厚なサウンドが響き亘る、劇的でスケールの大きなクライマックスだ。これがもう一度繰り返され Molto allargando となって高揚し、Prestissimo con brio のコーダへと雪崩こんでいく。
コーダはオーケストラ全体がその巨体を揺するように鳴動し壮大なスケールの終末へと突き進む。
曲中最大にして最後のクライマックスとなる Adagio triomphante では大編成オーケストラの全合奏と打楽器による ffff の、文字通り圧倒的なサウンドに空間が支配されるが、そこではまるで大量の湯に包まれ押し流されていくが如き快感に襲われるのである。
作者の付した発想記号通り、勝ち誇り慶びに満ちて音価を拡大した音楽は Timpani のソロで幕が下り、再び日本固有の ”終わり” のイディオムである柝のリズムに導かれた壮絶なクレシェンドの果て、全合奏を従えた打楽器群の毅然とした激情のリズムに全曲を終える。
■推奨音源
若杉 弘cond. 読売日本交響楽団(Live)
冒頭の柝のきざみとこれに呼応するシークエンス一つとっても 「こんなもんだろう」 ではなく「こうでなければダメ!」という確信が伝わってくる。
拡がりがありスピード感溢れた響きで”祭り”の生命感を発散し続け、現代管弦楽の枠組にありつつ日本的熱狂を確実に表現している。
終盤のクライマックスでは全てが溶込み厖大な熱量の濃密極まるサウンドを放ち、圧倒的な感動に包みこむ-全編を通じ、この楽曲の中核である”祭りの熱狂”が余すことなく、且つ高次元で音楽的に表現された名演なのである。
【その他の所有音源】
沼尻 竜典cond. 東京フィルハーモニー交響楽団 (Live)
-Epilogue-
前述のように”機会音楽” ”野外音楽”と色眼鏡で見られがちだが、三善 晃が万博を人類の 「祭典」 と捉えその心象を表現すれば、こうした楽曲になるのだ。「深層の祭」(1988年度全日本吹奏楽コンクール課題曲) で生の三善作品と身近に接した吹奏楽経験者の方が、それを肌で感じることができるかも知れない。
吹奏楽界に激震を与えたあの「深層の祭」に共通する、或いはその原点とも云える圧倒的なエントロピーは、1970年の時点で既に存在し提示されていたのである。
(既に天野正道による吹奏楽版もあり、秋田南高校が1998年のコンクールで採り上げている。本格的な音色と正確な演奏を行う技術が求められる上、この曲を真に面白く感動的にする「表現」「ノリ」はその先にあるという大難曲である。吹奏楽としてこの難曲に挑み、音楽として聴かせる名演よ出でよ!との期待もして已まない。)
<Originally Issued on 2016.7.16. / Revised on 2022.8.23. / Further Revised on 2023.12.12.>
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